マタイの福音書 10:25
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弟子はその師のごとく、僕はその主の如くならば足れり。もし家主をベルゼブルと呼びたらんには、ましてその家の者をや。
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弟子はその師のごとく、僕はその主の如くならば足れり。もし家主をベルゼブルと呼びたらんには、ましてその家の者をや。
されば汝らに告ぐ、審判の日にはソドムの地のかた汝よりも耐へ易からん』
わが汝らに「僕はその主人より大ならず」と告げし言をおぼえよ。人もし我を責めしならば、汝 等をも責め、わが言を守りしならば、汝らの言をも守らん。
信仰の導師また之を全うする者なるイエスを仰ぎ見るべし。彼はその前に置かれたる歡喜のために、恥をも厭はずして十字架をしのび、遂に神の御座の右に坐し給へり。
なんぢ見るべし、その信仰、行爲と共にはたらき、行爲によりて全うせられたるを。
キリスト肉體にて苦難を受け給ひたれば、汝らも亦おなじ心をもて自ら鎧へ。――肉體にて苦難を受くる者は罪を止むるなり――
かく主は敬虔なる者を試煉の中より救ひ、また正しからぬ者を審判の日まで看守して之を罰し、
その御言を守る者は誠に神の愛、その衷に全うせらる。之によりて我ら彼に在ることを悟る。
視よ、父の我らに賜ひし愛の如何に大なるかを。我ら神の子と稱へらる。既に神の子たり、世の我らを知らぬは、父を知らぬによりてなり。
之に由りて我ら眞理より出でしを知り、且われらの心われらを責むとも神の前に心を安んずべし。