詩篇 110:1
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ヱホバわが主にのたまふ 我なんぢの仇をなんぢの承足とするまではわが右にざすべし
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ヱホバわが主にのたまふ 我なんぢの仇をなんぢの承足とするまではわが右にざすべし
ダビデ聖 靈に感じて自らいへり「主わが主に言ひ給ふ、我なんぢの敵を汝の足の下に置くまでは、我が右に坐せよ」と。
ダビデ自ら詩 篇に言ふ「主わが主に言ひたまふ、
『ガリラヤの人々よ、何ゆゑ天を仰ぎて立つか、汝らを離れて天に擧げられ給ひし此のイエスは、汝らが天に昇りゆくを見たるその如く復きたり給はん』
古へより神が、その聖なる預言者の口によりて語り給ひし、萬物の革まる時まで、天は必ずイエスを受けおくべし。
われ確く信ず、死も生命も、御使も、權威ある者も、今ある者も後あらん者も、力ある者も、
神はその大能をキリストのうちに働かせて、之を死人の中より甦へらせ、天の所にて己の右に坐せしめ、
御子は神の榮光のかがやき、神の本質の像にして、己が權能の言をもて萬の物を保ちたまふ。また罪の潔をなして、高き處にある稜威の右に坐し給へり。
イエス我等のために前驅し、永遠にメルキゼデクの位に等しき大 祭司となりて、その處に入り給へり。
キリストは眞のものに象れる、手にて造りたる聖所に入らず、眞の天に入りて今より我等のために神の前にあらはれ給ふ。
信仰の導師また之を全うする者なるイエスを仰ぎ見るべし。彼はその前に置かれたる歡喜のために、恥をも厭はずして十字架をしのび、遂に神の御座の右に坐し給へり。