サムエル記Ⅰ 25:10
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ナバル、ダビデの僕にこたへていひけるはダビデは誰なるヱサイの子は誰なる此頃は主人をすてて遁逃るる僕おほし
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ナバル、ダビデの僕にこたへていひけるはダビデは誰なるヱサイの子は誰なる此頃は主人をすてて遁逃るる僕おほし
人ありて地界を侵し群畜を奪ひて牧ひ
ほどこし散して反りて増ものあり 與ふべきを吝みてかへりて貧しきにいたる者あり
いかなれば汝等わが民をふみにじり貧きものの面をすりくだくやと これ主萬軍のヱホバのみことばなり
われら罪ををかしてヱホバを棄われらの神にはなれてしたがはず 暴虐と悖逆とをかたり虚僞のことばを心にはらみて説出すなり
汝等は善き牧場に草食ひ足をもてその殘れる草を蹈あらし又淸たる水を飮み足をもてその殘餘を濁す是汝等にとりて小き事ならんや
ヱホバかく言たまふ イスラエルは三の罪あり 四の罪あれば我かならず之を罰して赦さじ 即ち彼らは義者を金のために賣り貧者を鞋一足のために賣る
その牀にありて不義を圖り惡事を工夫る者等には禍あるべし 彼らはその手に力あるが故に天亮におよべばこれを行ふ
蝮の裔よ、なんぢら惡しき者なるに、爭で善きことを言ひ得んや。それ心に滿つるより口に言はるるなり。
禍害なるかな、僞善なる學者、パリサイ人よ、なんぢらは人の前に天國を閉して自ら入らず、入らんとする人の入るをも許さぬなり。
なんぢは此の事に關係なく干與なし、なんぢの心、神の前に正しからず。
父なる神の前に潔くして穢なき信心は、孤兒と寡婦とをその患難の時に見舞ひ、また自ら守りて世に汚されぬ是なり。