されど我があたふる水を飮む者は、永遠に渇くことなし。わが與ふる水は彼の中にて泉となり、永遠の生命の水 湧きいづべし』
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TSK · ローマ人への手紙 8:10
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わが肉をくらひ我が血をのむ者は、我に居り、我もまた彼に居る。
暫くせば世は復われを見ず、されど汝らは我を見る、われ活くれば汝らも活くべければなり。
我は葡萄の樹、なんぢらは枝なり。人もし我にをり、我また彼にをらば、多くの果を結ぶべし。汝ら我を離るれば、何事をも爲し能はず。
それ一人の人によりて罪は世に入り、また罪によりて死は世に入り、凡ての人 罪を犯しし故に、死は凡ての人に及べり。
若しイエスを死人の中より甦へらせ給ひし者の御靈なんぢらの中に宿り給はば、キリスト・イエスを死人の中より甦へらせ給ひし者は、汝らの中に宿りたまふ御靈によりて、汝らの死ぬべき體をも活し給はん。
それ我ら生ける者の常にイエスのため死に付さるるは、イエスの生命の我らの死ぬべき肉體にあらはれん爲なり。
この故に我らは常に心 強し、かつ身に居るうちは主より離れ居るを知る、
なんぢら信仰に居るや否や、みづから試み自ら驗しみよ。汝らみづから知らざらんや、若し棄てらるる者ならずば、イエス・キリストの汝らの中に在す事を、
信仰によりてキリストを汝らの心に住はせ、汝らをして愛に根ざし、愛を基とし、
これキリストを獲、かつ律法による己が義ならで、唯キリストを信ずる信仰による義、すなはち信仰に基きて神より賜はる義を保ち、キリストに在るを認められ、
汝らは死にたる者にして、其の生命はキリストとともに神の中に隱れ在ればなり。
一たび死ぬることと死にてのち審判を受くることとの人に定りたる如く、
我は尚この幕屋に居るあいだ、汝らに思ひ出させて勵ますを正當なりと思ふ。
我また天より聲ありて『書き記せ「今よりのち主にありて死ぬる死人は幸福なり」御靈も言ひたまふ「然り、彼 等はその勞役を止めて息まん。その業これに隨ふなり」』と言ふを聞けり。