ヨブ 記 27:8
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邪曲なる者もし神に絶れその魂神を脱とらるるに於ては何の望かあらん
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Treasury of Scripture Knowledge references in Bungo.
邪曲なる者もし神に絶れその魂神を脱とらるるに於ては何の望かあらん
かれら叫びたれども救ふものなく ヱホバに對ひてさけびたれども答へたまはざりき
そのとき彼等われを呼ばん 然れどわれ應へじ 只管に我を求めん されど我に遇じ
耳を掩ひて貧者の呼ぶ聲をきかざる者は おのれ自ら呼ぶときもまた聽れざるべし
我なんぢらが手をのぶるとき目をおほひ 汝等がおほくの祈禱をなすときも聞ことをせじ なんぢらの手には血みちたり
故に汝この民の爲に祈る勿れ又その爲に泣きあるひは求る勿れ彼らがその災禍のために我を呼ときわれ彼らに聽ざるべし
然ば彼時に彼らヱホバに呼はるともヱホバかれらに應へたまはじ 却てその時には面を彼らに隱したまはん 彼らの行惡ければなり
イエス答へて言ひ給ふ『なんぢらは求むる所を知らず、我が飮まんとする酒杯を飮み得るか』かれら言ふ『得るなり』
すべて求むる者は得、尋ぬる者は見出し、門を叩く者は開かるるなり。
然るに遊女らと共に、汝の身代を食ひ盡したる此の汝の子 歸り來れば、之がために肥えたる犢を屠れり」
但し疑ふことなく、信仰をもて求むべし。疑ふ者は、風に動かされて翻へる海の波のごときなり。
且すべて求むる所を神より受くべし。是その誡命を守りて御心にかなふ所を行へばなり。